仙石秀久と小諸城 小諸城をつくった男センゴク

勇猛果敢!
戦国の猛将『仙石秀久』
小諸城に返り咲く

講談社・ヤングマガジン
『センゴク』『センゴク天正記』
宮下英樹・作

仙石秀久肖像画(宮崎直次蔵)金塗りの蒙古形の兜、黒の鎧に、短冊の付いた小さな鈴が吊された陣羽織を着た仙石秀久。

 美濃国に生まれた仙石秀久は、秀吉の旗下にあって軍功が認められ、信長より「永楽銭紋」の使用を許されるなど、讃岐高松城主十万石の大名にまで栄進するが、天正14年(1586)九州島津征伐での軍令違反による惨敗で秀吉の勘気にふれ、領地没収の上、追放されてしまう。
 しかし、四年後の天正18年(1590)小田原の役に【無】の馬印を掲げて馳せ参じ、家康軍に加わり抜群の戦功をたて、再び秀吉に認められ、五万石の小諸城主として返り咲くこととなった。

ヤンマガKC「センゴク」全15巻/週刊ヤングマガジン連載中「センゴク天正記」© 宮下英樹/ヤングマガジン・講談社

【作品紹介】
 初代小諸藩主、戦国武将・仙石秀久を主人公とした、本格歴史コミック。斬新な人物設定と、綿密な時代考証・取材に基づいた作品として評価を得ている。15歳からの仙石秀久を描いた第1部ともいうべき『センゴク』は全15巻で完結。現在は文字通り「千石持ち」に出世した秀久を描く『センゴク天正記』が週刊ヤングマガジンに好評連載中。漫画ファンのみならず、幅広い層から支持を受けている話題作。
5/25大手門竣工記念イベントにてトークショー
「小諸城をつくった男センゴク」〜秀久と私〜
宮下英樹氏・笹本正治氏・中井均氏 が開催されました。


2008年5月仙石秀久創建当時の姿に甦り、お披露目となりました。
小諸城をつくった男センゴク


センゴク・丸に無の紋 仙石秀久が
織田信長から与えられた
【永楽銭紋】→
センゴク・永楽銭紋
仙石秀久の志を
表したという
←【丸に無の紋】
 

【小諸城をつくった武将 - 仙石秀久】
 小諸藩初代藩主、仙石秀久は在城24年の間に小諸城の大改修を行い、二之丸、黒門、大手門を建てる。また、現在の小諸の基となる城下町も秀久が造ったといわれている。三之門、足柄門は秀久の子忠政によって建てられた。
小諸町並み研究会子どものページ・城下町歴史ものがたり 城と城下町を完成させた武将 - 仙石秀久


【仙石秀久エピソード - 祇園の宮への参拝】
 仙石秀久は健速神社旧地の祇園の宮をよく参拝していたと伝えられている。大手門竣工イベントでは古く祇園社の祭礼行事として行われていた「小室節」「ささら踊り」「健速神社神輿練(みこしねり)」の披露が行われる。
 国道141号「本町」信号から北へ向かう坂(北国街道)が、当時小諸城から健速神社へ向かう道であった。その由来には諸説あるが、仙石秀久が参拝のために日頃通ったその坂は今でも「権兵衛坂」と呼ばれている。
大手門竣工記念イベント【会場案内】マップで権兵衛坂を見る PDFファイル:380Kb


【仙石秀久エピソード - 蕎麦切り】
 浅間山麓周辺は当時から蕎麦のの産地であった。仙石秀久は、小諸の蕎麦を蕎麦切り(現在の細長い蕎麦)にして領民に広めたといわれている。蕎麦切りを媒体にして領民とのコミュニケーションをはかり、領民達からは親しみを込めて『仙石さん』と呼ばれていたということだ。


【仙石秀久関連リンク】
 秀久の子、忠政の代に仙石氏は小諸から上田に移り、その後但馬国出石藩(兵庫県豊岡市出石町)に国替えとなる。下記の2ヶ所では仙石秀久の甲冑を見ることができる。
上田市立博物館 【歯朶脇立藁編笠張懸兜 紺糸威二枚胴具足】博物館仙石秀久のページ
出石史料館 【頭形兜 胴丸具足】アクセス等は豊岡市ホームページ